利用者の声



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地域・家庭復帰

Aさんの写真

Aさん

80代男性

生まれもって弱視だった私が、その僅かな視力で、ただ気力とねばりだけで、頑張りとおした、三十年近いサラリーマン生活に終止符を打ったのは、 思いもよらぬ網膜剥離で失明した事だった。そうして家族に支えられながらも、私はもがき苦しんだ。 本が読みたい。文字が書きたい。文書で誰かに伝えたい。などと想い悩んだ。そのように、想い悩んだ日を送っていた私だったが。 或る日、

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妻の病で往診をしてくださったお医者さんが、新宿区河田町の視覚障害者生活支援センターを紹介してくださった。でも私はためらった。 それは、八十を過ぎている私が、いまさらと思ったからだ。それでもお医者さんは、何度も私を、励ましてくださった。私は、心が動いた。 ともかくその支援センターに行ってみた。案内されて、訓練されている控え室に入って見ると、とても障害を持っている人とは思えないほどの明るい雰囲気で、 しかも私を暖かく迎えてくださった。そうして、訓練をしてくださるパソコンや点字、さらに歩行などの先生にお逢いしたが、 とても初対面とも思えないほどの親しみを感じる人ばかりだった。やがて一年三ヶ月にわたっての訓練をしてみた。 いつも優しくてきれいな言葉遣いには、私に取って有難く、いつも気持ち良く訓練を受ける事が出来た。それでも訓練が進むに従って、想い悩んだ事もあった。 それは、受けている訓練の中で、次第に難しくなった時だった。頭が重く感じた時もあった。 そのような時には、スポーツがあり。旅行があり。いくつかの講習会があり。控え室で生徒の皆さんと話し合うなかで。いつしか解消されて行った。 そうして、パソコン。点字。歩行。料理。などの学んだ基本を頭にいれた私は、それを大切に、自習を含んだ訓練を続けているうちに、 次第に愉しくなり意欲も自然に沸いて来た。そうして、すこしづつ訓練の成果が出て来た頃に、月日もたってやがて卒業を迎えた、わたしだったが、 それから六ヶ月もたったいまは、未熟ながらもパソコンでメールが打てるようになり。点字で文通をして見たり。 支援センターまで一人で歩いて行けるようになったりして。 もがいていた二年ほど前に比べて、様変わりの愉しい、生活を送っている今日この頃だった。このように出来る事になったのも、 熱心に訓練をしてくださった先生方や、お世話をしてくださった職員の皆さんのお陰だと思いながら、いつも有難く感謝をしている。 思えば、私は昭和二十年五月の、東京が大空襲にあった時、我が家も、学校も焼かれてしまった衝撃的な想いでとか。在職している時に、 失明をしてしまった思い出だけが、いつまでも、わすれる事が出来ないもので、その事が、いつも重くのしかかっている私だが。 この支援センターで体験をした訓練は、これからいつまでも、忘れる事もなく、愉しかった思い出になるような気がする。 そうして、いつの日か、この支援センターに訓練を体験をして良かったと、思うような気がする。

たたむ

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Bさん

60代女性

定年退職してすぐにセンターの生活訓練を受けさせていただきました。老いと暗闇 が同時にくるなんて、耐えられませんでした。これからどうやって生きて行けばいい のだろうと不安でした。

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センターではパソコンや点字や家事などの身の回りのことなど、これから見えなく ても知っていた方が便利なことをたくさん習いました。学生みたいで楽しかったです 。どの先生もこんなおばあさんに眼が悪くても十分に生きよと教えてくださったと思 いました。 いつでも学べることを知り、区の生涯学習はこの春4年目になります。パソコンで 開花状況を見て、ヘルパーさんと庭園めぐりも楽しんでいます。お正月に江戸東京博 物館で名古屋の美術館でないと見れない源氏物語絵巻を見ることができました。実際 には見えません。実物の隣の大きなポスターをヘルパーさんが指さし、イヤホンガイ ドが「源氏が薫を抱いている」と言ってました。でかける時は乗り換え案内で行き方 を検索します。ただヘルパーさんに連れて行っていただくのではなく、自分で行き方 を決めます。 なんでもできるようなことを言っていますが、私は生徒としては劣等生です。パソ コンもトラブル頻繁。いまだに先生にメールで教えていただいています。さすがの先 生も私が間違ってとんでもないキーを押したりするのを予想できず、「こんなキーを 押したのはだれでしょうね!」と驚かれます。卒業の時、点字の先生が「触っていな ければ、2ヶ月で忘れます」と言われました。苦労して覚えたので、思い出しては教 科書を開いています。今はデイジーでなんでも聞けるのですが、指先で次の言葉をさ ぐるワクワク感は墨字を読んでいたページをめくるあの感覚で、これも捨てがたいも のです。私はまだこの勉強も不足しています。 定年で視覚障害でなにもできないと思ったおばあさんがまだまだやりたいことがた くさんみつかりました。先生方は私のことを120歳まで生きるとおっしゃいます。私 はこのときとばかり「はい、そうします」と返事をします。

たたむ



進学

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Cさん

50代女性

私は、47歳でくも膜下出血で倒れ、全盲となりました。 それまでは、私立、公立の幼稚園や保育園に勤務しており、元気いっぱいの園児達に 囲まれ、仕事も私生活も充実していました。 我が家の子供たちも下の子が学校を卒業する年で、就職も内定を頂いていました。 6年前の11月20日の朝、突然の吐き気と頭痛で気を失って、それ以来、記憶が戻った のは1ヶ月後でした。朝なのか夜なのか判らない状態の時、娘から視覚障害である事 を聞きました。

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自己防衛なのでしょうか、現実を逃避して考えると妙に、明るくいられる自分になれるのです。周りから強いねと言われる度に、弱い自分を出せなくなる ものです。不思議でした。 入院中、リハビリを行い、娘と毎日体力快復のためフロアを歩きました。 退院前、主治医より視覚障害支援センターを御紹介頂きました。 今後の生活訓練の場としてまず一人で歩きたいと言う気持ちが一番強かったように思 います。それは今でも変わっていません。 歩行訓練のことをお話します。 歩行の基礎訓練から始まり、センター内の構造を覚えていくうちに、頭の中に地図が 入って行くのです。繰り返す事で見えていないのに立体的な映像までが描かれていく ように感じます。 支援センターのある新宿の大江戸線若松河田駅から墨田区江東橋の自宅まで往復 のルートが完成した時は本当に嬉しかったです。 現在、卒業後から幾つかのルートを覚えましたが、やはり通常ルートは鮮明でも、使用 回数の少ないルートは怖くて緊張します。 メンタルケア・進路のことをお話します。 入所してから何度か面接の機会を設けていただき、少しずつ気持ちが整理して行ける ようになって行きました。私をはじめ、家族までが私の障害を受け止めてもらい、一緒に 成長して来たように思います。 自分の進路の事を考え始めたのは10月を過ぎた頃でしょうか。 翌年の1月にセンター卒業。 2月にあんま・マッサージ・指圧業を将来の選択とし、都立文京盲学校専攻科に48歳 で受験しました。 字の読み書きのことをお話します。 授業内容を記録するのには録音とブレイルメモを使用し、パソコンでまとめました。 書きはライトブレイラーでテストの解答用紙、カルテ等をに記入し提出していました。 一年時はかなり授業方法に戸惑い、点字も未熟な状態で理解に苦しみました。 幸いにもデイジー音声で問題を聞くことが認められ、国家試験でも私のときからプレ ークストークの持ち込みが認可されました。 センターで教えて頂いた事をフルに活用し、3年前あんま マッサージ 指圧の国家 試験に合格しました。 現在、在宅訪門マッサージの仕事に勤務しています。 私が卒業した年はあの3月11日の東北震災大津波が起きた年です。 被災地の復興を願いながらも、自分自身の就職も決まらず落ち着きませんでした。 学校卒後から2社目ですが、今まで社会に関わってきた経験を活かして高齢者の方々 に毎日接触させて頂いています。お客様の中にはまだお仕事を続けられているかたも おり、笑いあり、涙ありの話題で、逆にファイトを頂いています。 今後も私の体力が続く限り、この仕事を続けて行きたいと思っています。 この場をお借りして、利用者のみなさんは障害の度合いが違う事から、訓練の成長度にも羨ましさ を感じることも多々ありました。 それでも卑屈にならず頑張れたのは指導されている先生方とセンター内で一緒に訓練 を受けている仲間達、そして応援してくれている家族のお陰です。 本当に感謝しております。ありがとうございました。

たたむ

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Dさん

50代男性

支援センターを利用当初は、白杖の使い方が自己流で困っていました。また、パソコンができなくて困っていました。 支援センターでトレーニングを受け、白杖がうまく使えて恐怖心がなくなり、うまく歩くことができるようになりました。

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パソコンが使えて手紙かけるし、メールもできるようになりました。視覚障害者のための 色々な補助装置も使えて障害が取り除かれた思いがしました。先生と相談出来て将来どの道を歩いて 行ったらいいか確立ができました。障害者の仲間が出来て、色々な情報交換ができたり、自分 より大変な人に励まされたりして元気をもらったり、障害者でもバレーボールを楽し めたり、ボランティアのカナリヤさんたちと、学校の受験のための、対面朗読をしてもらい、受験勉 強が自信をもってできて、学校に合格しました。色々勉強させてもらい勉強する癖と体制 を整えることができました。生活していて楽に、もしくは、うまく電子レンジや コップを とれたり、簡単に料理を作れたりできるようになりました。点字が読め、文字も書けるようになりました。 4月から始まった学校もなに不自由なく勉強に集中出来ました。パソコンをうまく自由に活用でき、 もっとうまくつかえないかと、悩んだ時はセンターの先生と相 談出来たり、学校までの歩行も出来たので、1人で楽に怖がらずに歩けました。 何よりも、他の人と同じかそれ以上に勉強が楽しく悩まずにでき、学校の先生からも、ど のように勉強したらいいかをうまく指摘してもらい、どんどん成長出来ました。今の自分 の土台は全てセンターから始まったと思っています。 悩んでいる人も、悩みがない人も、一度センターの門を叩いてみてください。新し い発見があるはずです。求めていたものに、出会えるはずです。 私はこれから、心と体を揉み解せる理療士を目指しています。

たたむ



就労

Eさんの写真

Eさん

30代女性

私は2003年に手術をきっかけに全盲となりました。手術直前までは人材派遣会社の営業所長として働いていましたが、全盲での復職は厳しく退職に至りました。 視力とともにやりがいだった仕事を失った私ですが、「仕事がしたい!」という強い気持ちは失うことなく、復職にむけてさまざまなことに取り組みました。 そのひとつが、

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東京都視覚障害者生活支援センターでの訓練です。 訓練は生活に必要な歩行にはじまり点字や料理、音声ソフトを使用したPC使用方法まで、視覚障害の若葉マークの私が分かるまで根気強く行って頂きました。 歩行訓練では、当時の私は見えていた感覚と見えない感覚をうまくコントロールできず、訓練士(先生)の前でできない自分に悔し泣きを何度もしましたが、訓練士(先生)は、私が納得できるまで説明してくれました。 PC訓練では、メールやネットの基本利用方法から、ICレコーダーによる録音情報の管理方法など、私が必要としている情報を最善をつくして提供していただきました。 あの当時、支えてくださる多くの方々がいたことや、分かり合える同期の仲間がいたことがどれだけ心の支えになっていたかわかりません。 そんな私も、2006年にはIT外資系企業(日本マイクロソフト株式会社)に入社し、障害者採用や講演活動をするまでになりました。 そして現在は、障害者の方の自立をサポート&マネージメントをする「一般社団法人 セルフサポートマネージメント」を立ち上げ、代表理事として活動しています。 皆さんも目標に向かって、焦らず、気負わず、諦めずに前進してください!

たたむ


Fさんの写真

Fさん

30代男性

私は学校で鍼灸マッサージの免許を取得し卒業した後、網膜色素変性症によって視力 を急激に失ってしまいました。 数年間ひきこもり状態の生活をしていたのですが、その状態が統合失調症ということ で精神科に入院することになりました。 精神科のドクターやナース、ワーカーなどと今後の進路について話し合った結果、視 覚障害があっても社会に自立して行けるよう、支援センターで機能訓練を受けることに なりました。

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私は学生の頃に支援センターの卒業生の方たちと交流があったので、それですでに支援セ ンターのことは知っていました。 精神科のワーカーが支援センターに連絡をしてくれて、後日支援センターの職員が病 院まで来てくれました。 その後支援センターに見学に行ったり面接をしたりして、機能訓練を受けることとな りました。 支援センターでの機能訓練では、白杖を使用した歩行訓練、音声対応のパソコン、電 子レンジを使った調理、プレクストークというデイジー図書再生機の使用方法、目 が見えなくてもできるお裁縫などを習いました。 学生時代に点字を少し学習してはいたのですが、かなり忘れてしまっていたりしたの で、改めて点字を習ったりしました。 お札を見分けたりする道具や、音声対応のICレコーダーなどを紹介して頂きました 。 支援センターには鍼灸マッサージの免許を持つ職員が一人いたので、その職員に盲人 ホームという視覚障碍者の有資格者が技術を高めるために通う研修施設のことを教え て頂いたりしました。 しばらくは支援センターで機能訓練を受けて、盲人ホームでは鍼灸マッサージの研修 を受けるという生活を送っていました。 そして支援センターに就労支援の部門ができたので、ワードやエクセルといったパソ コンの訓練を受けるために機能訓練から移行しました。 まだ訓練を受けていた頃は自分のパソコンを持っていなかったので、訓練時間の終了 5分前くらいにICレコーダーにまとめを吹き込んでそれを自宅で点字にメモしてい ました。 そして朝早めに支援センターに行って、支援センターのパソコンでメモした内容を復 習したりしました。 あと特別に鍼灸マッサージの免許を持つ職員から、盲人ホームでは習わない施術する 時のコミュニケーション方法などの訓練を受けました。 ようやく自分のパソコンを購入した頃に支援センターを卒業することになったのです が、それからしばらくは盲人ホームだけの生活をしていました。 盲人ホームでは実際に患者からお金を頂いて施術していたのですが、支援センターで 習ったことを活かして、自分の自宅のパソコンにカルテとして記録を付けたりしまし た。 それだけではなく、プレクストークを使用できるようになったことでデイジー図書 を聴いて鍼灸マッサージの学科の復習をしたり、ICレコーダーでメモを取る習慣が できました。 盲人ホームの施設長は区の視覚障害者福祉協会の会長をしていたので、私が住んで いる市にもそういった団体はないかと尋ねたら、市の視覚障碍者協会を教えて 頂きました。 その市の視覚障害者協会の支部長に履歴書の作成などを手伝ってくれるボランティ アはないかと尋ねました。 すると社会福祉協議会に聞いてみてくれと言われました。 支援センターではインターネットの使い方も習ったので、市の社会福祉協議会のウ ェブを閲覧して連絡先などを調べることにしました。 すると市の障害者就労支援センターという機関を社会福祉協議会の中に発見しまし た。 そして盲人ホームに通いながら、市の社会福祉協議会のワーカーとハローワーク に行って就職活動をしたり、卒業した身分の立場である私に支援センターは障害者向 けのビジネススクールを教えてくれたり、市の障害者就労支援センターとは別にま た就職活動をしてくれたりもしました。 なのでこれまで絶望と孤独の中に居た私は本当に無能な状態でしたが、支援センター で多くの事を習い、その能力を活かしながら人脈を広げて情報を集め、様々な人達の ご協力によってこの度老人ホームでの専属マッサージの就職が決定しました。 しかし私にはまだまだできないことが沢山有ります。 この就職をゴールではなくスタートとして意識し、もっと多くの能力を身につけて社 会に自立して行こうと思っています。

たたむ


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